昨日の聖書箇所は創世記25:19-34、27:1-28:5で、
「動物を捕まえに行ってきて、お腹が空いてたエサウは、
「みんなだったらスープと大切な物を交換するぅ~?」
「お父さん(イサク)に言われて、エサウが動物を捕まえ
に行っている間に、お母さん(リベカ)に言われて、
先にもらってしまったんだよぉ~~!!」等と話をして、
今回は特に「祝福のお祈り」について強調してみた。
お話しの後に子供達からお祈りのリクエストを聞いたら、
勢いよく手を上げ、リクエストをいくつも話してくれる子と、
最初は「ない!」と言ったけど、「本当にないの~?」と
聞いたら、一つのリクエストを話してくれた子がいた。
先に書いた、いくつも話してくれた子のリクエストの中に、
「お父さんとお母さんの祝福のお祈り」というのがあった。
その子は4月から小学1年生になったばかりなのだが、
「祝福の祈り」の意味を理解しているように感じた僕は、
「子供という子供はいない。子供という人間がいる」という、
札幌愛隣チャペルの内越言平先生の言葉を思いだした。
子供という一人の人間であり、聖書のお話しや御言葉も
子供達なりに理解をしているのだと改めて実感。
子供が僕の事をお祈りして、僕が子供達のお祈りをした。
その後はワークブックをやり、最後に紙飛行機とばしを
大人の礼拝が始まるギリギリまでやって終った。
子供達(と家族)の1週間が祝福で満ち溢れますように!