昨日の水曜礼拝(祈り会)はルカによる福音書19章28節~からのメッセージでした。
その箇所は棕櫚の聖日のところで、イエス様は自分が十字架刑に処せられることを知りながら、
人々の罪を贖うためにエルサレムに入城された日。
人々は、子ろば乗ってエルサレムに入城してきたイエス様を、自分達の上着を道に敷いたり、
棕櫚の枝を敷いたりして、手に持って振ったりしながら、
「ダビデの子、ホサナ。主の御名によって来られる方に」と歌い歓迎しました。
しかし、5日後には「十字架につけろ」と言って、イエス様を十字架にかけてしまうのでした。
毎年聞くメッセージですがいつも心に響きます。この日もそうでした。
ここからはメッセージを聞いて書いた個人的なメモです。
聞き取れなかったり、言葉を簡単にしたりしたところもあるので、
正確とは言えないメッセージメモですが、
メッセージとメモを心に留めて週の後半を過ごしたいと思います。
19:31~34
もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」
彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」
と彼らに言った。
弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。主がお入り用なのです・・持ち主は渡された。
主がお入り用なのですと言われて、私たちも召し出された。
19:37~40
イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、
自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、こう言った。
「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、
「先生。お弟子たちをしかってください。」と言った。
イエスは答えて言われた。
「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
神を賛美する事を止めさせることができない。弟子たちは喜びのあまり賛美した。
「もしこの人~石が叫びます」それほどの賛美がなされる栄光の時
19:41~42
エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、
そのことがおまえの目から隠されている。
イエス様はエルサレムを見て泣いた。
イエス様が来ようとしているに、知らないでいたり、見逃したりしているとしたら、
このエルサレムのようだ
何に土台を置いているか?
イエス様は変わらない・・・この方を土台にして、同じようにありたい。