ひでくまっくす

日々の日記と、教会の事、ゴスペルクワイアの事、先生をやっている日曜学校の事を書いたBlogです! 去年くらいから教会の世代交代とコロナで教会の記事より日常の記事が増えています。

棕櫚の聖日

昨日の水曜礼拝(祈り会)はルカによる福音書19章28節~からのメッセージでした。

その箇所は棕櫚の聖日のところで、イエス様は自分が十字架刑に処せられることを知りながら、

人々の罪を贖うためにエルサレムに入城された日。


人々は、子ろば乗ってエルサレムに入城してきたイエス様を、自分達の上着を道に敷いたり、

棕櫚の枝を敷いたりして、手に持って振ったりしながら、

ダビデの子、ホサナ。主の御名によって来られる方に」と歌い歓迎しました。

しかし、5日後には「十字架につけろ」と言って、イエス様を十字架にかけてしまうのでした。

毎年聞くメッセージですがいつも心に響きます。この日もそうでした。



ここからはメッセージを聞いて書いた個人的なメモです。
聞き取れなかったり、言葉を簡単にしたりしたところもあるので、
正確とは言えないメッセージメモですが、
メッセージとメモを心に留めて週の後半を過ごしたいと思います。


19:31~34
もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」
彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」
と彼らに言った。
弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。主がお入り用なのです・・持ち主は渡された。

主がお入り用なのですと言われて、私たちも召し出された。


19:37~40
エスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、
自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、こう言った。
「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、
「先生。お弟子たちをしかってください。」と言った。
エスは答えて言われた。
「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

神を賛美する事を止めさせることができない。弟子たちは喜びのあまり賛美した。
「もしこの人~石が叫びます」それほどの賛美がなされる栄光の時


19:41~42
エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、
そのことがおまえの目から隠されている。

エス様はエルサレムを見て泣いた。
エス様が来ようとしているに、知らないでいたり、見逃したりしているとしたら、
このエルサレムのようだ


何に土台を置いているか?
エス様は変わらない・・・この方を土台にして、同じようにありたい。