ひでくまっくす

日々の日記と、教会の事、ゴスペルクワイアの事、先生をやっている日曜学校の事を書いたBlogです! 去年くらいから教会の世代交代とコロナで教会の記事より日常の記事が増えています。

自分が叩いているのではない

昨日の礼拝ではドラム奉仕(担当)でした。

この4月で礼拝でドラムを叩くようになって二年が過ぎました。

それ以前は10年以上前に教会ユースのスタッフとして時々叩いていただけで、

それ以降は殆ど叩いたことがなくて、しかも「習う」というのが苦手で自己流・・。

そんな僕なので、ちゃんと習って叩いてきた人からみると「酷い」ドラムだと思う。

それでも、二年前からは月に1~2回のペースで叩かせてもらっていて、

少しずつですが、手足が前より動くようになってきた。

しかし、自己流には限界があり、自分の思い描いたように手足が動かない。

なのに不思議で、礼拝が始まると、自分の手足が、自分の意識をこえて動くんです。

「あれ、こんなフレーズ叩いている」と自分に驚くときもあって、

そういうときは、「これは神様だな~」と思う。それくらい自分に驚くときがある。

このとき、つい自分が叩けたことに嬉しくなってしまうのですが、

そのときこそ、神様を見上げて、叩かせてもらえていることを感謝したい。

ですが、人間は弱くて、ついつい自分を誇りたくなる。

音楽は楽器は特に誇りたくなることが多いと自分は思う。

しかし、今度の礼拝では自分はドラム奉仕ではなくて、

PA(音響)担当になって、表舞台から裏舞台に移る。

神様は僕のことをすご~く良く知っている。

今の僕だと毎週のようにドラム奉仕が続いたら、浮き足立ってしまう気がする。

それくらい好きでたまらない音楽であり楽器であり賛美。

今こうして与えらえている「ドラム奉仕」を大切にして、

自分ではなくて人のため&神様のために叩き続けて、

みんなが自由に賛美が出来る助けになるように用いられたい。

「自己表現」のドラムより素晴らしく、喜びがあると僕は思っています。