昨日の礼拝ではドラム奉仕(担当)でした。
この4月で礼拝でドラムを叩くようになって二年が過ぎました。
それ以前は10年以上前に教会ユースのスタッフとして時々叩いていただけで、
それ以降は殆ど叩いたことがなくて、しかも「習う」というのが苦手で自己流・・。
そんな僕なので、ちゃんと習って叩いてきた人からみると「酷い」ドラムだと思う。
それでも、二年前からは月に1~2回のペースで叩かせてもらっていて、
少しずつですが、手足が前より動くようになってきた。
しかし、自己流には限界があり、自分の思い描いたように手足が動かない。
なのに不思議で、礼拝が始まると、自分の手足が、自分の意識をこえて動くんです。
「あれ、こんなフレーズ叩いている」と自分に驚くときもあって、
そういうときは、「これは神様だな~」と思う。それくらい自分に驚くときがある。
このとき、つい自分が叩けたことに嬉しくなってしまうのですが、
そのときこそ、神様を見上げて、叩かせてもらえていることを感謝したい。
ですが、人間は弱くて、ついつい自分を誇りたくなる。
音楽は楽器は特に誇りたくなることが多いと自分は思う。
しかし、今度の礼拝では自分はドラム奉仕ではなくて、
PA(音響)担当になって、表舞台から裏舞台に移る。
神様は僕のことをすご~く良く知っている。
今の僕だと毎週のようにドラム奉仕が続いたら、浮き足立ってしまう気がする。
それくらい好きでたまらない音楽であり楽器であり賛美。
今こうして与えらえている「ドラム奉仕」を大切にして、
自分ではなくて人のため&神様のために叩き続けて、
みんなが自由に賛美が出来る助けになるように用いられたい。
「自己表現」のドラムより素晴らしく、喜びがあると僕は思っています。