さてさて、MAKS夏季キャンプが終わって、日曜の朝はいつものMAKSでした。
お話しは僕。聖書はマルコによる福音書10:46-52のバルテマイのところ。
・盲目のバルテマイは「神様にお願いする」しか方法がなかった
・バルテマイはイエス様を「神様の子」と信じていた
・バルテマイはイエス様に「あきらめず」に呼び求めました
・バルテマイは目が見えるようになりたい!と「はっきり訴えた」
・バルテマイはイエス様が「いやして下さる」と信じていた
・バルテマイは「乞食の上着を脱ぎ捨て」イエス様のところに来た
・バルテマイは「癒された後」もイエスさまに「着いて行った」
・バルテマイはイエス様を「神様の子」と信じていた
・バルテマイはイエス様に「あきらめず」に呼び求めました
・バルテマイは目が見えるようになりたい!と「はっきり訴えた」
・バルテマイはイエス様が「いやして下さる」と信じていた
・バルテマイは「乞食の上着を脱ぎ捨て」イエス様のところに来た
・バルテマイは「癒された後」もイエスさまに「着いて行った」
土曜が泊まりのキャンプで、落ち着いた時間が無いと分かっていたので、
少し前からメッセージ準備をしていたのが良かったようで、
自分としてはしっかり語れたと思う。というか神様に守られたと強く感じた。
メッセージの最後に、「僕もつい"病院”と言ってしまう人なので、まず祈ろうと思う」
と言ったら、一番前でメッセージを聞いていた妻が、うなずいていた(苦笑)。
落ち着いてメッセージが出来て、自分の事も振り返る事が出来て、感謝でした。