昨日はOBの出席が多かったMAKS(日曜学校)でした。
時々書いていますが、MAKSは卒業後も出たければ参加して良い事になっているので、
奏楽をしてくれるOBだけではなく、卒業後も同じように来ているOBや、
時々ぷらっ~と来てくれるOBが数人いて、昨日はぷらっと来る方のK君が久しぶりに来た。
K君は中学で部活に入ったので教会に時々しか来れてないのですが、
来る日はいつもMAKSから出席してくれる。そしていつも楽しそうに参加している。
自分を含めて先生達はOBになっても変わらない接し方をしているので、
K君にとって”いつ来ても変わらない自分の居場所”になっているのかな~と思っている。
僕も来てくれて嬉しかったので、K君の隣に座って一緒にメッセージを聞いた。
次はいつ来てくれるか分かりませんが、またMAKSから来てくれたらいいな~。
さて、ここからは今日のタイトルになっている話しになります。
昨日のメッセージ担当は神学生でした。箇所はどこかというと超メジャーな”ヨセフ物語”
クリスチャンホームのお友達、キリスト教系の学校に通うお友達が多いMAKSは
この箇所を知っているお友達が多く、神学生がメッセージ中に質問をしても
結構答えていたのですが、中でもO君が一番答えていて、彼は答えるだけではなくて、
神学生が少しメッセージをすると、続きを先まで話してしまうというのを繰り返していて、
昨日のメッセージの範囲を飛び越えたところまで話してしまっていました。
神学生は彼の話す隙間をぬって、話しに付け足すようにメッセージをしていたのですが、
こちらから見ていて、とても大変そうでしたね。お疲れ様でした~~。
知っているのは良い事で、それを話しをしたいという気持ちもとても良く分かるのですが、
覚え方が中途半端だったり、ちょっと違って覚えていたりするところもあるので、
まずは先生のメッセージを聞いて欲しいな・・と思います。
でも、O君の気持ちも大事にして、良い方向に導いてあげられたらいいので、
自分がメッセージ担当の時には知恵が与えられますように。
そうそう、ここまで書いて思い出した事があるのですが、
O君は暗唱成句を発表してもらう時に”手を真っすぐ上に挙げて”僕が指名するのを待ち、
指名をしたら、自信の表情で殆ど間違わずに言えていました!
こういうところも、もっともっと延ばしてあげたいですね!!