MAKSのMLで6月の奏楽者ローテーションが届いた。
ローテーションにはドラムのパートが加わっていて、MAKS上級科の男の子が担当になっていた。
前回のMAKS教師ミーティングの時に、”月一でドラムを入れたらどうか”という案が出て、
その案が6月からスタートする。
送られてきたローテーションを見た時に、僕も月一でドラムに加えて欲しいと思いました.....。
今ベースを弾いている僕が何故にドラムを・・・・?
それには理由があって、
ドラムは前の教会で中高科のスタッフをしていた時に、朝の中高科の礼拝で叩いていた
経験があったので、MAKSでも叩きたかった。
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しかしMAKSでドラムを叩くと司会(賛美リード)”が出来ないと思い込み、
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司会が出来ないという事は賛美の選曲権が無いと思い込み、
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常に新しい賛美を歌っていきたいという思いがあった僕はドラムは諦めたのでした。
しかし、何か楽器がやりたいという思いがあって、
一昨年のクリスマスに”おやじバンド”でベースを弾いた事から、MAKSでベースを弾く事にした。
それ以降MAKSではベースを弾いているのですが、司会の時はベースを弾いていなかったので、
ドラムでも司会の時は叩かないという事が出来たのです。
この事はすぐに気づいたのですが、色々な事情で”今はドラムは無い方がいい”と判断して、
僕はベースに専念していたのです。実はベースが面白くなったという理由もありますが(苦笑)。
そんな状態なので、心のどこかにドラムへの思いがあり、今回のドラム奉仕を加えるという事に
なった時に、僕の心が騒ぎ出したのでした。
さて、僕は叩いてもいいのだろうか?それともベースに専念した方がいいのだろうか?
この思いは、ドラム奉仕への思いなのか?ドラムへの思いなのか?